1)全か無( all or nothing
)の発想
物事を白か黒か、very good か very bad か、善か悪か、という両極端に捉えてしまう発想です。要するに、「アイマイさ、中庸、混在」の思考が困難という心理です。 たとえば主治医に対して、非常にいい理想化された医者像か、悪徳非道な悪い医者像かというどちらかの極端な目でみがちです。また何かのキッカケで私はダメ人間と判断すると、その他のいい自己の部分が全く脳裏から消滅してしまいます。
その他の対人関係においても、ある人に嫌われているか好かれているかという、どちらか白黒で単純に判断をくだしてしまい「嫌われている部分もあるが好かれている部分もある」という混在感が抜け落ちてしまいがちです。だから自分を取り巻く世界も完全に安住できるものか全く信用するに足りない地獄であるか、という心境が日によって往ったり来たりとなり安定しません。信頼している人にひとこと気にさわる事を言われれば、その人を一気に信用しなくなるという事態も生じやすくなります。 2)自己関連づけ
自分に関係のない出来事を、自分に過剰に関係づけてしまう思考パターンです。この思考パターンは摂食障害者の対人緊張の原因のひとつになります。またこれは結構、過剰な被害意識の温床にもなっています。 たとえば「クラスメートの誰かがある日何か怪訝そうな表情で私を見た、これは私が最近2kg太ったから軽蔑しているのに違いない」という思考につながります。ひょっとしたら、この怪訝そうな表情は、着ている服の色が単にいつもより暗いから何故かな?と、服の色だけに注目しているに過ぎないのかもしれないのにです。 しかし本人にとっては体重がいつも気になっていますから「他人は、体重で私を判断する」といいう閉塞的な思いこみを確信してしまうのです。
そして、この過剰な自己関連づけは自分の心の投影に過ぎない場合が多いのです。たとえば、いつも背の低さを気にしている人は他人を背の低さで評価します。鼻が低いことで劣等感を抱いている人は、美人の基準を鼻の高さだけで判断しがちです。一流大学への入学を必死で目指している高校生は、他人が大学名だけで自分を評価してくると錯覚しています。これは一流大学志向なんて全く価値のないことと考えている人が世間に大勢いることが目にはいらないからです。「裸の王様」という童話の世界が連想される感性です。